私の介護への想い

「私への介護への想い」です。
今回は、鹿児島県介護福祉士会 会長 田中 安平 会長です。

<介護の本質は幸せ追及の支援である>

介護は「生活支援、自立支援」だと言われるが、具体的にどのようなケアをすることが生活を支援し、自立につながるのかということについては、明確に語られることなく、介護のテクノロジーがまことしやかに喧伝されている。
介護の本質・介護哲学から「生活支援、自立支援」について論じてみたい。
生きること、すなわち生活とはどういうものであるのか。
生活には、①手段的生活行為と、②目的的生活行為があり、生物学的な意味での生存には手段的生活行為が必須であるが、人はそれだけでは生きていけない。人としての生活に目的的生活行為が重要な意味を持つ。
マズローの欲求階層説を待つまでもなく、人は「食べ・排泄し・入浴する」ためだけに生きているのではない。「夢の実現・幸せな充実した日々・生き甲斐の獲得」を目指して生きているのである。
手段的生活行為は前者を意味し、テクノロジーでの対応が可能であるが、目的的生活行為としての後者は個別的な喜怒哀楽への関わりであり、対人援助関係の下でしか構築することができないものである。
十人十色の支援を意図的に展開できる所に、介護の哲学・本質はある。具体的にいえば、共感力・客観的判断力であり、推察力であり、実践力である。当然のことだが、この部分に関してはAI等のテクノロジーで対応することは難しい。幸せのあり方は、多数決で決められるものではないからである。自立支援について論じると、自立の前提には自律がある。自律をないがしろにされたところでの自立は、真の意味での自立には程遠いものがある。服従的な意味での存在に、生活が強制的にねじ曲げられているのであり、このような支援は当然のことではあるが自立支援とは言えないものである。
介護・看護、保育や教育等に関して感情労働という名が付与されているように、感情の動物である人間相手の労働に感情のコントロール力が強く求められるのは当然の事である。そこに専門性が存在するのだとしたら、AI等のテクノロジーで対応することが難しいのは自明のこととなる。未来の介護の世界を展望した時、私たちがプロの介護福祉士として自負を持ち続ける為にも、介護の哲学・本質に関して日頃から自己研鑽を積むことが大切である。
鹿児島県介護福祉士会では、介護現場で勤務する皆さんの仕事に対する遣り甲斐、日常生活の生き甲斐に繋がるよう、様々な研修科目を準備しております。皆様の多数の参加をお待ちいたしております。