私の介護への想い(鹿児島県介護福祉士会 会員 Kさん)

~介護への想い~

<ひとりの老女との出会いの中で・・>

鹿児島県介護福祉士会 会員 Kさん

ピン ポーン
いつものようにインターホンを押すと、私は心の中でカウントを始める・・。
「1・・2・・3・・」
住宅街から少し離れた場所に木々に囲まれた古びた一軒家がある。
坂道を登りきった高台にあるその家は、数十年前から変わらないであろう桜島と錦江湾を望むことができる。
「14・・15・・16・・」
20を数えたころに、ようやく小さな人影が、玄関のガラス越しに見える。
「28・・29・・30!」
ガラガラガラッ! と開いたドアからは、いつものように屈託のない笑顔があらわれる。
「よし、いつも通りだな。」と私は心の中でつぶやく。
それと同時に、負けないように元気な声で挨拶を返す。
「こんにちは!」

2年前に突然ご主人を亡くしてからも、彼女は気丈にも一人暮らしを続けている。
曲がった背中で、ゆっくりと上がり框を昇ると、いつもの特等席に案内される。
こぢんまりとしたテーブルの上には、彼女の生活に必要なモノたちが所狭しと置かれている。
ゆったりとした会話の中で時が流れていく。
「いつ、お迎えが来てもいいのよ・・。」と、いつもの決まり文句が出始める。
その割に薬はきちんと飲むし、病院にもしっかり行っているようだ。

しばらくすると電話の音が鳴り響く。
おもむろに受話器をとると・・「もしもしー。 生きちょんなー?」の一言。
仲のよい友人との、これまた決まり文句を言う笑顔の裏には、いつ訪れるかもしれない死への意識が見え隠れする。

今や介護の世界では生産性や効率姓が叫ばれている。
慢性的な人手不足の中で、介護を必要とする人はたくさんいる。
それに対応するために、介護者が時間やエネルギーを割かなければならない。
当然、生産性、効率性が必要となってくる。

 

しかしながら、目の前にいる彼女の生活を眺めていると、ゆったりとした時間の中で、人生の最後をかみしめるように懸命に生きていく姿がある。
そこには生産性や効率性を求める姿はない。

果たして、私たち介護職は何のために介護を行うのか。

日々の追われる仕事の中でも、見失ってはいけない何かを教えられるのではないだろうか。

もう一度、振り返る必要が有るのではないだろうか。
介護という仕事を、誇り高いプライドのある仕事とするために。